身近な方の死をご縁として
釈由真
新型コロナウィルスの影響で自粛生活を余儀なくされ、家でじいっとしていることが多いまま、今年の春は過ぎてゆきます。みなさまお変わりないでしょうか。お寺でも、ご法事は延期や中止、ご葬儀は少人数でと静かな日々が続いています。
ホームページができたので、毎月法話をお届けしようと思いながら、いつもとは違う春を忙しく過ごしていました。3月1日にお勤めできなかった永代経を、来週の21日に極少人数でお勤めいたします。社会の状況を見極めなければいけない立場の住職は、茨城県で緊急事態宣言が解除されたことで法要がしやすくなったと胸をなでおろしています。
3月の永代経では私が法話を担当することになっていました。今年は、私にとって身近な方が次々と亡くなり、常日頃「無常」ということをみなさまにお伝えしているこの私が、寂しさのあまりじっと立ち尽くすような時間を過ごしたのでした。一緒にご飯を食べ、笑い、社会の不条理に怒り、仏さまを拝み、「傍にいることが当たり前」の方々でした。
「ありがたい」を漢字で書くと「有難い」有ることが難しい、深い意味があります。それは、「当たり前」の反対であり、今ここにいのちあることの素晴らしさを気づかせていただける言葉です。どうしても漫然と生きてしまう凡人である私です。身近な人の死という悲しみが、私を尊い真実に導いてくださいました。
みなさまがお元気に日々をお過ごしくださいますよう、心より念じております。
合掌
5月14日
「奇 跡」 前田健雄
奇跡とは、常識を超えた何かが起こること?
それとも、自分の願いが叶うこと?
私が生まれてきたこと。
あなたが生まれてきたこと。
そして、私たちが出会えたこと。
奇跡はもう起きていたんだね。
今、この瞬間も奇跡だったんだね。
「あなたに届けたい話3」より
2020年5月14日 | 今日の法話